「ペンギン盗難事件」について考えたこと〜続きの続き〜

2010 年 3 月 9 日 火曜日

「ペンギン盗難事件」の続報が流れた。3月9日(火)朝、いくつかのテレビニュース番組で、「容疑者の余罪」が伝えられた。それによると、容疑者は経営するペットショップの資金難から、以前にも他の動物園を含め、カピバラ、リスザル等を盗み、転売していたという。

これが事実だとすると、おそらくペットショップの従業員は、このような状況を、ある程度認識していた可能性が高い。だから、累犯を防ごうとしたのだろうか?ともかく、手近な「飼育施設」から動物を盗んで売りさばくという発想は、もはや「生きもの」を「商品」としてしかとらえられない精神状況に陥っていたというべきかもしれない。

私が危惧する問題の1つは、まさにこの点にある。

野生動物が、現代的な資本主義=市場原理の巨大な歯車の中で「磨り潰されて」いくのは、「生きもの=商品」という価値観、あるいは共通認識が確立した時だ。だから、以前、『動物の値段』という本をこき下ろした。「生きもの」は人間が「生産した商品」ではない。特に「野生動物」は、「人間がいなくとも立派に生きていける独立独歩の生命体」だ。それを、単に略奪しただけで、あたかもその生命体を自分の所有物のように「商品化」する権利が誰にあるというのだろう!?私は、人間が生きていく上で必要な「食糧」として野生動物を狩る行為を非難しているのではない。また、家畜(人間が繁殖をコントロールしている動物)について述べているのでもない。人間がまだ、その生態すら良く知らない「野生動物」に、「商品」として「値段」がつけられると考えるその感覚そのものが、かなり時代錯誤だと思うのだ。

はっきり言って、動物園や水族館という公共性の高い施設は別として、どうして個人が野生動物を飼ったり、売り買いしたりする必要があるのだろう?そこに、野生動物を個人に供給する「市場システム」が存在しなければ、果たして一人一人の「動物好き」は、「野生動物が飼いたい、あるいは買いたい」等と考えるだろうか?

私が言いたいことの1つは、つまり、こういうことだ。「ペットショップ」と名乗るのであれば、野生動物は扱ってはいけないだろう。人間が完全に繁殖をコントロールできる生きもの=家畜に限定していただきたい。

そういう意味でこの事件をとらえるならば、容疑者は「動物園の所有物」を盗もうとした罪の他に、野生動物を略奪しようとした罪をも負っている。
しかも、自ら経営する店舗には、たくさんの動物達が残されている。その「命」の重さを、容疑者はどのように考えているのだろうか?

実は、そのペットショップのその後が、私も大変気になっている。

外部リンク
カピバラも被害、長崎の動植物園 ペンギン窃盗の男、追送検 / 西日本新聞
ペンギン窃盗のペットショップ経営者 カピバラ、リスザルも盗む 容疑で追送検 長崎県警 手提げバッグに入れる / 西日本新聞

コメント / トラックバック 1 件

  1. penguinman より:

    忘れられがちでしたが、しっかり守っていきたいですね。と同時に飼わない勇気も必要でしょうね。ちなみに、昨日のスポーツ報知にも出ていましたし、テレ朝「やじうまプラス」でも報道されていました。

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