震災11週間を経て考えること

2011 年 5 月 27 日 金曜日

「人の噂も七十五日」という言葉があります。まあ、もともとネガティブな言い方だとは思いますが、なんだかこの言葉が気になってしかたがない今日この頃です。

今回の大震災は、到底「軽いウワサ」とは全く異質なものです。だから、「75日もたてば誰もウワサしなくなるだろう」等ということは、あてはまらない。そう考えるのが、いわば当たり前です。

しかし、現実はどうでしょうか?

あの機械的に反復された「AC」の音楽とセリフが頭の中にこだまして、「ちょっと、もう勘弁して欲しい!」という「ウンザリ感」が蔓延しているのと似たような状況で、「もう震災の話題は聞きあきた…」というような、一種の倦怠感が広まり始めている気配を、なんとなく感じるのは、私だけでしょうか?

例えば、「GW後にボランティアが激減した」とか、「避難所に移った方々には様々な支援物資の提供が打ち切られる」とか、そんな話が伝わっても、こりゃあなんとかしなくちゃあ!と感じて行動を起こす動きが湧き上がってきた、という話はあまり聞きません。

それどころか、「東北地方への様々な旅行を取り止めました」とか、依然として「とにかく東北産のものはごめんだ」とかいう、しっかりした根拠のない風評被害的な話ばかりが聞こえてくるのは気のせいなのでしょうか?

まさか、「被災地支援、東北支援はもう十分」等と考える風潮が広がり始めた、等とは想像したくもありません!

5月に宮城県を訪問した時にも、こんな話を聞きました。

「支援のためにみえる方は大歓迎なんですが、大きなカメラをもって、報道関係者でもない人達が被災現場で写真を撮ったりしてるんです。」

被災地は観光地ではありません!また、今回の大震災は、決して何かのイベントでもありません!!
そこでは、大勢の同胞が亡くなり、未だに行方がわかない方々がたくさんいらっしゃり、そして家や財産や仕事を失ったまま苦しい生活を強いられている方々が、日々を過ごされているのです。

たとえテレビが報じない日があっても、これらの現実が、これらの苦しみが消えてなくなっているわけではないのです。

77日前、まだ激しい余震が続く中、「今回の震災との闘いは長期戦になる」と記しました。そして、「長期戦は日本人がちょっと苦手な闘いだ」ということにも触れました。

今、まさに、その「日本人の苦手な長期戦」が始まったのです!!今回の「国難」は、軽い一時的なノリで克服できる程度の災難ではありません。「もう飽きた!」と放り出すことも、もちろんできません!!

様々な立場の人々が、互いの知恵と力を出し合いながら、しかも、息長く継続できる形で、工夫しながら支援し続ける必要があるのです。

だから、もう既にご存じだと思いますが、また、繰り返してお伝え致します。

現在、このサイトでは以下の4つの支援活動を継続しております!引続き、皆様の、ご理解とお力添えを、何卒よろしくお願い申し上げます!

また、これ以外にも、以前お伝え致しましたように、新たな「支援活動」を準備しておりますので、皆様のご理解とご支援を重ねてよろしくお願い申し上げます!!

マリンピアクラブ、ペンギン会議 上田一生

コメント / トラックバック 12 件

  1. manchot より:

    関西では、普段から、なかなか東北産が売ってないので、「購入」という支援ができないのが残念です。
    マリンピアもあるし、温泉もあるので、「観光」という支援が出来たらと思いつつ、先立つものが・・・・(^^;
    地道に、少しづつですが、上記への「資金援助」を続けて行きたいと思ってます。

  2. 上田一生 より:

    >manchot 様
    コメントをありがとうございます(^o^)/
    そうなんですよ!「関東地方は東北地方の恩恵をたくさん受けてきた」土地なんですね。いろんな意味で。
    関西と関東とでは、歴史や文化だけじゃなく「流通」も大きく違います。関東地方の物資の多くは、東北に依存してきたんです。
    しかし、関東に長年住んでいる人々の中にも、そういう「東北地方からの永年の恩恵」に気づかず、いや気づこうとせず、かえって「東北へのおかしな偏見に凝り固まる」輩が、残念ながらいるのです。
    ですから…、どうぞご無理のない範囲で、息長くお力添えいただければ幸いですm(__)m!!

  3. だざい より:

    上田先生、人々の記憶からあの未曾有の災害が風化されつつある現状に対し、被災地へのご配慮ありがとうございます。
    我が家の敷地は、津波の被害こそありませんが、県や町が指定する急傾斜の危険地域に位置しています。
    幸い、その傾斜地の上に家屋がありますので、土砂崩れで家屋が押しつぶされることはありませんが、家屋裏の傾斜地が日々続く余震、雨の影響で少しずつではありますが崩壊しています。
    決して安全と断言できる状況ではありませんし、今なお地震の被害、今後の災害と向き合って生活をしています。
    また、築30年が経過する我が家は、基礎がコンクリートブロックでできており、これは現在の建築基準法に適合しない基礎であるため、家屋の解体と地質調査を含めた大掛かりな工事をすることにいたしました。
    国から全壊扱いに対する見舞金や新築のための補助金として合計300万円が支給されますが、これだけで新築は不可能です。
    私の場合、地震保険に加入していたおかげで、もろもろ含め新築するに十分な資金は得られる見込みです。
    沿岸部だけでなく、内陸部でもこのような悩みを抱えて過ごしている方がたくさんいらっしゃいます。
    長期にわたる避難生活、快適性とは無縁の仮設住宅住まい、農業や漁業、畜産を断念せざるを得ない人たちが東北には何千、何万と暮らしています。
    それは、国が「絶対に安全」「原発があればどんどんお金が入る」と福島県をうまくその気にさせて原発を作ったことが大きな原因であったりもします。
    少し言い過ぎかもしれませんが、東京を含む関東の電力を生み出しているのは福島県や新潟県の自然と原発です。
    ですから、少なくとも関東にお住まいの方達には、事の重大さを絶対に忘れて欲しくはないのです。
    当たり前の暮らしを享受できていたのは、福島と新潟に大きな発電所が集中しているからこそなのに、その福島県の人たちは当たり前の生活を奪われたのです。
    宮城県の女川原発と福島県の原発からは遠く離れた場所に住む私ですらこのような思いがあるのですから、福島県の危険区域、その近隣にお住まいの方はなおのことそのような思いが強いのではないかと思います。

    昨日から、仙台と石巻を結ぶ仙石線が松島町まで通常ダイヤによる運行を再開しました。
    これにより、松島水族館最寄りの松島海岸駅へも電車が停まります。
    少しずつ少しずつ、本当に少しずつ元の暮らしに近づいてきてはいます。
    ですが、失われた物の大きさからいば、何も元に戻っていません。
    復旧も復興もしていません。
    暮らしの見通しもたっていません。
    行き場のない人たちはそのままです。

    「がんばろう日本」
    この言葉は、正直、東北人には辛い言葉です。
    何もがんばれないのですから。
    辛い経験を乗り越え、たくましく生きていける人ばかりではありません。
    「がんばれません東北」
    全国のみなさんの手助けが、今後何十年と必要なのです。

    だいぶ過激な文章になってしまい、不快な思いを抱かせてしまったかもしれません。
    しかし、上田先生が仰る通り、国難なんです。
    特別なことを求めはしません。
    ただ、少なくとも東北人はみな苦しんでいる。その現実を決して忘れないで欲しいのです。
    私は、こんな現状だからこそ、現在の職を捨て、観光のための仕事を立ち上げようと準備を進めています。

    今は、破壊から生まれる創造に夢を託すことしかできません。
    それすら叶わぬ人もいますから、少なくとも自分ができることは諦めずに、叶うように努めていきたいと思います。

  4. 上田一生 より:

    >だざい 様
    心のこもった偽りのないコメントを、本当にありがとうございました!

    真実はディティールの中にこそある。私は、いつもそう考えています。抽象的な議論や全体的な視点は、一見「広い視野」や「度量の大きさ」を表しているように錯覚しがちですが、実は、具体的事実に基づかない、現場を詳細に観察せずに無理にひねり出された結論は、現実を無視し、一人一人の人間の苦しみを和らげる力は全くないと思います!!
    太宰さんがお書きになったような真実が、被災地のいたるところで起こっているのです。
    私たち、小さな個人にできることには当然限界があります。限界だらけなんです!!でも、工夫すれば、なんとか解決への糸口が掴めるかもしれません!
    だざいさん!新しいアイディアを実現しましょうね!!
    今後とも何卒よろしくお願い申し上げます!!

  5. 新山 より:

    地震についてはあまり書くまい、と思っていたのですが・・・。

    日本人が長期戦を苦手とするようになったのは、物が必要以上にあふれかえっていることと無関係ではないと思います。
    ただ、それだけではなくて、マスコミのあり方にも問題があるように思います。

    大震災の翌日、新潟県と長野県境で起こった大地震を覚えていらっしゃる方はどれくらいいるでしょうか?
    新潟では、ごくたまに新聞に載ったりするので思い出す方もいるかと思いますが、離れた地域の方で覚えていらっしゃる方はほとんどいないのではないかと思います。
    新潟県内では、奇跡的に亡くなった方はいなかったのですが、家屋が全壊するなどして現在も避難していらっしゃる方が大勢います。

    そのような情報は、すでにどこにも報道されていないのではないでしょうか?
    視聴率をとれないネタはすぐに報道しなくなってしまうため、国民も終わったことと思いこんでしまって、忘れ去られてしまうのだと思います。
    情報提供の継続を強く望みます。

    また、だざいさんもおっしゃっているように、新潟県にも関東のための発電所がいくつもあります。
    信濃川の長野県境には、長野県側に東京電力の水力発電所が、新潟県側にはJR東日本の(首都圏の鉄道用)取水ダムがあります。
    信濃川水系の清津川にも東京電力の水力発電所がありますが、発電に使った水は清津川に戻さずに、なぜか山の向こうの魚野川に放流されています。そのせいで、夏になると清津川の水はほとんどなくなってしまいます。

    柏崎刈羽原子力発電所は世界最大規模の原発ですが、地元のための発電所ではなく、当然のように関東に送電されています。
    原発立地地域では、おそらく例外なく、原発による恩恵を受けたい推進派と将来に不安を感じる反対派が住民を二分していることと思います。
    よその地域の利益のために住民が対立しているという悲しいことが起こっています。

    とりとめもない話になってしまいましたが、そんなに安全なら東京湾に造ってくれと思うのは私だけではないと思います。

  6. kochan-mama より:

    だざいさんの貴重なご意見・ご指摘を重く受け止めています。確かに、ここ東京では一見すると何ごともなかったかのように日々が流れています。
    それにしても、観光のお仕事を立ち上げられるとは! 今のご職業からはずいぶんと方向転換ですね。発足されましたら是非、お知らせください! 心から応援しています!

    ところで・・・。
    人は良きにつけ悪しきにつけ「忘却」の生き物だと思います。震災に限らず、ただ「覚えておけ」では、残念ながら限界があると思います。そのためには忘れさせない「仕組み」が必要だと考えます。
    首都圏にお住まいの方はご存じと思いますが、9月1日は大がかりな防災訓練とともに、小学校では「引き取り訓練」というものが行われます。災害などを想定して、学校に子どもを引き取りに行く訓練をするというものです。9月1日という夏休み明けの日ということもありますが、「9月1日=関東大震災=防災」ということが染みついている気がします。

    また、人々が語り継いでいくことも重要だと考えます。
    私はかつて祖母から「父親が関東大震災で亡くなって苦労をした」という話を何度も聞かされました。「関東大震災」という言葉は私たち家族の「日常」にありました。

    今度は私たちが語り継いでいかなければならないと感じています。
    今回の震災でも、被災者の生の声を、だざいさんを始めとする被災地の方からの投稿や斎藤美香子さんのブログで知ったという方も多いのではないでしょうか。そういう点でも上田先生のHPは大変重要な意味を持っていると考えます。
    3月11日を慰霊の日とするだけでなく、何かの形で「特別な日」として語り継いでいけるような「仕組み」ができないものかと思っています。

  7. だざい より:

    新山さま、kochan-mamaさま、そしてペンギン会議の皆様。
    心からのご支援と、私たちをはじめて各地の被災者を慮ってくださる気持ち、本当にありがとうございます。

    関東大震災の日と同様、宮城県にも宮城県沖地震の日に防災訓練を全県で行っていました。
    宮城県人としては、この日は恐ろしい記憶と、地震、火災、津波、停電、断水、食料不足などの経験をした日でした。
    近年、新潟、北海道、近畿地方で大変大きな地震に数年と間を置かずに見舞われました。
    また、今回、長野の知人ともお互いの安否を確認する情報交換をしました。

    私の母は、宮城県地名研究会に所属しておりまして、地元新聞紙河北新報から「みやぎ地名の旅」という書籍が販売されているほか、三年前の岩手・宮城内陸地震を機に、「災害・崩壊地名」という本を自費出版しました。
    平成の大合併や新興住宅地の影響で、古くから伝えられてきた、その土地にまつわる災害を示す地名が失われています。
    例えば、私の住む住所は「桜木町」といいます。
    現在でも、この住所ですが、「さくらぎ」の「くら」という部分が「崩れる」を意味しています。
    もちろん、私ははじめからこの土地に関する知識もありましたし、きちんとして調査の上で土地を購入しました。
    予め、この土地が崩壊するようなら、県内は壊滅的になると予想していました。
    やはり、その通りになりました。

    母が、先人の残した地名を大切に思う気持ちを私は十分に理解しています。
    しかし、行政はへんてこりんな地名や響きばかりにとらわれた意味のない地名をつけたり、重要な意味を持つ、歴史的な意味を持つ地名を消していきます。

    新山さまがご指摘されたように、マスコミのかたよった報道というのも今回の震災を局地的なものと誤解させたり、既に普段通りの生活に戻ったように、また政府の対応、東電の対応のまずさを隠したりしているように思えます。

    東北六県の県庁所在地の市長六人が、東北六魂祭というイベントを開催することを表明しました。
    風評被害が実害として深刻化されている現状を打破しようと、東北も何もせずに黙っていることはできません。
    その昔、「白河以北一山百文」と軽視されていたのが東北地方です。

    私もとりとめのない文章になりましたが、ペンギン会議の皆さんが松島水族館にお寄せ下った義援金や、その他の義援活動に積極的に動いて下さっていることに感謝、感謝の毎日です。

  8. 上田一生 より:

    >新山 様
    >kochan-mama 様
    >だざい 様

    貴重なコメントをいただきながら、すぐにご返事できず、大変失礼致しました!

    実は、皆様の真剣なご意見を何回も繰り返し拝読すればするほど、言うべき的確な言葉や表現が見つからないもどかしさに苦しんでおりました。
    「言葉は虚しいもの」ですが、時と所と人とを得れば、素晴らしい輝きを放つものです。しかし、今の私には、残念ながら皆様の真摯な思い、心からの叫びを受けとめる力のある言葉や考えが思いいたりません。

    昨日も、大槌町の方々の支援に邁進していらっしゃる東京大学大気海洋研究所の佐藤克文先生のお話を間近でうかがっていて、「間髪をおかず支援する」ことの重要性をつくづく実感致しました!
    あの3月11日以降、東日本だけでなく、全国で起こったことを反芻しながら、しかも、タイミングを逃さず的確な支援を継続的に実行できるよう、決意を新たにしております!

    皆様、どうかよろしくお願い申し上げます!!

  9. kochan-mama より:

    上田先生、だざいさん、こんにちは。

    だざいさんの投稿を読んでハッとしました。私の発言の意図するところは、東北に備えが足らなかったという意味ではなく、例えば関東大震災においては・・・という趣旨だったのですが、少々言葉足らずでした。お気に障ったようでしたらお詫び申し上げます。
    上田先生がおっしゃるように「言葉は虚しいもの」であると同時に、「時として危険なもの」であることを改めて認識しました。

    上田先生、だざいさん、これからもよろしくお願いいたします。

  10. だざい より:

    >kochan-mamaさま

    何も気にしていませんよ。
    私のほうこそ、余計な心配かけたようですみません。

    備えという点では、太平洋側の地域では、過去の教訓や津波に対する備えにだいぶ差があったのは確かです。
    とはいえ、万里の長城と比喩された、堅固な防潮堤ですら破壊した今回の津波は、まさに人知を超える災害だったことも確かです。

    災害は、忘れた頃にやってくるとはよくいいますが、本当にその通りですね。
    今は、プライベートで忙しい、不自由な日々を送っていますが、はやくペンギン会議のみなさんと笑顔でお会いしたいです。

  11. kochan-mama より:

    だざいさま・・・コメントありがとうございます!

    さて・・・。
    忘れずにいること・・・、本当に難しいですよね。
    たとえば今日、6月8日は何があった日か、覚えていますか? 10年前と3年前に大きな事件がありました。私も新聞を見て思い出しました・・・。
    多くの人は自分の生活に支障がなければ忘れてしまうのだろう・・・と思います。
    でも、上田先生はじめここに集う皆さんのように、忘れることなく長期にわたって支援を続けていこうとしていらっしゃる方たちに、ちょっと嬉しくなるようなニュースがありましたのでお知らせします。
    6月6日の日経新聞からの抜粋です。
    「函館から“助け船”228隻」
    「岩手県の久慈市漁港に、北海道函館市内の5漁港から中古の小形漁船(磯舟)228隻が無償提供されることになった。久慈市などによると、1934年の函館大火の際に函館市に義援金を送った縁があり、今回は函館市が久慈市に支援物資を届けた。その際、函館市の担当者が久慈市で漁船が不足していることを聞き、函館市内の漁協に提供を呼び掛け、目標の100隻を大きく超える228隻が集まった・・・」
    とのことです。
    1934年(昭和9年)という70年以上も前のことですから、市の担当者や漁協の人たちが自身で経験したことではないでしょう。おそらく、「記録」や「記憶」が受け継がれ、語り継がれてきたということではないでしょうか。
    私たちもがんばっていきましょう!

  12. 上田一生 より:

    >kochan-mama 様
    >だざい 様

    本当に、本当に、真剣な、心からのご意見をいただき、ありがとうございます!

    間もなく、あの大震災から3ヶ月が経過しようとしています。
    最初の揺れの、あのいやあな感覚が、最近の余震で、また少しよみがえっています。「おまえたち忘れるなよ!!」なんだか、地中からそんな声が聞こえてきそうなこの頃です。
    忘れるもんですか!!この声は、誰の声でしょうか?この3ヶ月を必死に生き抜いてきた方々の叫びや悲しみや怒りがまるでなかったかのように、平然として別世界で生きている、そういう「どこかの偉い方々」への一括だと良いのですが…。

    さあ、また次の3ヶ月も、復旧と復興への工夫と協力を続けていきましょう!!皆様、どうか繋いだ手をしっかり結んで前進しましょう!!

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