東北地方太平洋沖地震安否情報〜その35〜

2011 年 4 月 2 日 土曜日

地震から3回目の土曜日です。
テレビで拝見すると、まだ東北では雪が降っているようですが、皆様、体調を崩されてはいませんか?どうかお気をつけ下さい!

さて、今回は、最近数日間に、被災地の方々から寄せられた情報を、いくつかまとめてご紹介致します。
マスコミでも報道されておりますが、被災地の方々の日々のくらしやお気持ちは、非常に複雑で一様ではありません。
その一端を知っていただければ幸いです。

まず、仙台にお住まいの、私の知人からのメールを以下に、ご紹介致します。
(個人的な事柄は一部改変してあります)

「震災後20日たって、感情の変化を感じています。「がんばる」という言葉が、この時のために用意されていた言葉のように、ただ、今日をがんばる毎日でしたが、急な状態から安定さを求めたい時期のはずが、不安定さを自覚するようになり、自分でも驚いています。
まさに、上田先生のメールの通りになっています。
今まで何度もみたはずのTVの映像で急に泣き出したり(子どものいないときに)、あの繰り返すCM「こんにちは、ありがとう…」の歌をきいて、いつになったらそんな平和な街に戻るのだろうと焦ってしまい、いきなり動悸と息切れがしたり、時にはハイテンションに子どもと接してみたり…、軽い症状ですんでいるようにも思うのですが、躁鬱傾向があるのでは?・・・と考えています。普段の日常がある実家に身をおいて冷静さを取り戻す必要があると判断しました。」

また、3月30日には、草野日差子様から、次のようなお話と映像をいただきました。
(以下、草野さんからのメールの概略と映像をご紹介します)

「3月30日:娘の花粉症の薬をもらいに小児科に行きました。いつもは亘理駅近くの耳鼻科に通院していますが、ガソリンがないので、娘は鼻にティッシュを詰めて過ごしていました。小児科が外来を始めたことをFMラジオで聞き、母子2人で通院しました。病院は、津波の浸水被害を受けた場所にあり、道の脇には流れてきたゴミや瓦礫が集められていました。車道側は、自衛隊の大きなトラックが真横を通るので、帰りは安全な道を探して、かなり遠回りして戻りました。」

2011年3月30日宮城県

また、宮城県内の方々からのメールによれば、毎日が「怒濤のような日々」だそうです。
周囲でたくさんの知人を亡くしたり、家を失った方々への対応があったり、あるいは、3月末日で津波被害を受けた会社から解雇されたため、新しい就職先を探さなければならなくなったり…、被災地以外では、想像もつかないような出来事が、毎日のように押し寄せてくる状況のようです。

実は、このサイトの「問い合わせ」や私自身の携帯にも、様々な情報や「被災地支援のご提案」が寄せられております。
皆様のお力添えに、改めて深く感謝申し上げます!

ただ、ご理解いただきたいのは、被災地の外にいる我々には、なかなか現地の混乱状態や被災された方々の心情、体調等ははかりかねる、ということです。
何が言いたいのかというと、何か支援をする場合は、被災地の方々の新しいご負担を増やすことだけは、ぜひとも避けていただきたい、ということです。

何かを送る場合でも、被災地の方の必要性をよく考慮し、何か新しい作業を現地の方々にお願いすることがないよう、つまり「全ての作業を送るサイドで完結する」ことが非常に大切です。

被災地では、あらゆる作業が同時進行しており、毎日が「手一杯」の状況です。

繰返しになりますが、「受けとり手=被災者=エンドユーザー」はもちろん、現地で「情報や作業をコントロールされている方々」にも、新しい大きなご負担をおかけしない、ということが大原則だと考えております。

従って、もし、何かを被災地の方々にお伝えする場合は、このサイト等のように「情報掲示板」として機能しているような「媒体」、つまり、被災地の方々が余力のある時にコンタクトできるような方法で、情報や活動を周知することが大切だと思います。

どうか、様々なご提案を、積極的にお寄せ下さい!皆様の、ご理解とお力添えを、重ねてお願い申し上げます。

ペンギン会議・マリンピアクラブ 上田一生

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