白瀬日本南極探検隊100周年記念「国際講演会」と特別展に行ってきました(^○^)!!(第1回)

2012 年 2 月 27 日 月曜日

…とは言っても、1日目は「入試業務」で参加できず、2日目(2月26日(日))の最後の部分だけしか聴講、見学できませんでした(~_~;)(涙)

今回は、まず、全体の雰囲気から…(^○^)!!

私が聴講したのは、一連の演者の最後、韓国極地研究所の金禮東博士のご講演でした。演題は『アジアから見た白瀬南極探検隊』。会場でいただいた演者紹介資料によれば、金博士のご専門は地球物理学。現在、韓国地理学会会長、SCAR(南極研究科学委員会)副会長を務めていらっしゃるそうです。

「白瀬の探検は、帝国主義時代のアジア人の苦難に打ち克ち、アジア人が自信を回復する手本であるとみなすとき、彼の探検は高く評価できる。」これが金博士の結論です。

様々な資料を紹介しながら、白瀬の人柄を「誠」の人とし、東アジア共通の哲学・知恵である『中庸』(儒学の四書の1つ)を引用して、「ものごとの根源をなし、すべての変化や現象が然るべく発現する力」こそが、白瀬の人柄を表現する言葉としてふさわしい。そのように評価されました。

私が感銘を受けたのは、これを英語で、しかも解りやすく説明されたことです。東アジア人である私たち日本人でさえも、真剣に考えればかなり難解な儒学思想を、欧米の研究者をも聴衆として迎えながら、こういう形でまとめ、解説された。これは、非常に難しくその上高度な「英語表現」です。

残念ながら、これまで、白瀬の業績や人物像に関する歴史的評価に関しては、日本人同士でも真剣な議論はなされていないと思います。白瀬の活動に言及したある著者は、非常に貧弱で狭く性急な判断で、「白瀬は独善的で権威主義的だった」という議論を展開しています。これは、20世紀初頭の日本人の平均的価値観を全く考慮せず、現代のヒューマニズムを絶対的な価値観として過去の人物や出来事を断罪しようという、歴史を語る場合に一番やってはいけない方法論なのです。白瀬が、政府や学会という大きな権威といかに格闘し苦闘しながら「南極探検」を実現し遂行したのか、探検後にも、家族共々どれほどの辛酸をなめ、経済的不遇や屈辱的境遇に耐えていかねばならなかったか。そういう歴史的事実を全く知らないで、浅薄かつ偏重した史料調査に基づいて、誤った結論を性急に出しているのです。

こういう低俗な「歴史認識」をいつまでものさばらせていてはいけないと、強く思います!!

白瀬の歴史的業績を公正に評価し、その人物像を探求することは、決して偏狭な国粋主義を吹聴することではありません!!現実に、今回の国際講演会で内外の演者=専門家が指摘された通り、白瀬探検については、まだまだ十分な専門的調査がなされていないのです。私たちは、単に「古い1人の日本人の突飛な行動」として白瀬の探検を片づけてしまってはいけないでしょう。

このような機会に、もう一度、襟を正して、白瀬探検の歴史的調査と評価とを進める覚悟と実際の探求を始めるべきです。

私も、微力ながら、自分のフィールドに近い部分を中心に、「白瀬の南極探検」について新たな調査と考察とを開始することにしたいと考えております。

白瀬日本南極探検隊100周年記念「国際講演会」と特別展 白瀬日本南極探検隊100周年記念「国際講演会」と特別展 白瀬日本南極探検隊100周年記念「国際講演会」と特別展 白瀬日本南極探検隊100周年記念「国際講演会」と特別展 白瀬日本南極探検隊100周年記念「国際講演会」と特別展

コメント / トラックバック 4 件

  1. こばやしゆたか より:

    わたしは初日にだけ行ったのですが、 『「南極記」の英訳―ヨーロッパから見た白瀬南極探検隊―』のヒラリー・シバタさんの日本語による講演が見事でした。
    彼女はイギリス人で日本語はあまり得意ではないのですが(名前からして旦那さんが日本人なのかしら)、娘さんと二人で「南極記」の英訳をなさった方です。その苦労話(当時の日本語と現代英語の表現の違い)が前半。これもとても面白かったのですが、白眉は後半。「白瀬隊の成果は(冒険大国の)当時のイギリスではほとんど報道されなかったのだけれど、それはなぜか」というはなし。当時のイギリスの社会情勢を踏まえた話を、とっても誠実な日本語でなさってました。
    あれは、上田先生に聞かせたかったなあと^^

  2. 上田一生 より:

    >>こばやしゆたか 様
    本当にいつも貴重なお話をいただき、ありがとうございますm(__)m!!
    そうですか!それはぜひ聴講したかったなあああ〜(~_~;)(涙)残念です(~_~;)!!でも、ご教示いただきましたので、早速ヒラリー・シバタさんのご著書を入手し、拝読することに致します(^○^)!!
    ご指摘の通り、私もかつて金浦の「記念館」で白瀬や探検隊員直筆の日誌や文書を検分致しましたが、非常に隔絶感を持った覚えがあります。手書きだけでなく印刷された文章でも、やはり100年前の日本語はほとんど外国語に近い感じがします。
    まず「漢籍の教養」がないとチンプンカンプンであること。ルビをふってあるからまだマシですが、たとえ読めたからといって、その意味するところが現代語とは全く違ったり、微妙にズレたり、あるいは「死語」だったりすることが非常に多いですね。

    私は、もともと史学科ですから、幕末から昭和初期にかけての日本語の厄介さには、多少慣れているつもりでした。変化や偏差が大きいからです。
    私の父の恩師、金田一京助先生や柳田国男先生も、度々、この時期の国語(日本語)の「豊かさ」や変幻自在な有り様について、論じていらっしゃいます。その厄介な時代の日本語を訳されたということは、それだけで、シバタさんが、極めて誠実で几帳面、かつ深い人間的想像力・洞察力をお持ちだという証拠だと思います。

    そういう感性をお持ちの方が、100年前のイギリス社会や人々の心や振る舞いの根底にあるものについて、どのように語られたのか?聴きたかったなあああ〜(~_~;)(涙)
    本当に本当に残念です(~_~;)(大涙)!!

  3. こばやしゆたか より:

    USTREAMで見られるようになってるのを発見しました
    シバタさんのは
    http://www.ustream.tv/recorded/20678793
    です。
    お時間のある時に是非!

  4. 上田一生 より:

    >>こばやしゆたか 様
    シバタさんのご講演、USTREAMで見られるんですね(^○^)!!教えていただき本当にありがとうございますm(__)m!!
    ご指摘のように、年度末のドタバタが過ぎましたら、ゆっくり聴講するつもりです(^○^)!!ご教示に感謝申し上げますm(__)m!!

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