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現金輸送 ふれあいペンギンビーチ〜その2〜

2010 年 1 月 26 日 火曜日

1994年8月。私は南アフリカにいた。
南アフリカ航空機は、香港を経由して十数時間飛び続けた。窓に額をくっつけて下をのぞき見る。ちょうど沈み始めた夕日が、テーブルマウンテンを赤く染めていた。初めての南アフリカ。しかも、懐では、300万円相当の米ドル札の分厚い束が、存在を主張している。南大西洋の海面が次第に近づいてくる。

翌朝、ホテル近くでタクシーを拾い、テーブルビューにあるSANCCOB(サンコブ)のレスキューセンターに向かった。サンコブとは「南部アフリカ沿岸鳥類保護財団」のこと。1987年から手紙などのやりとりはしていたが、実際に現地を訪問するのはこれが最初。

「ケープタウンは南アフリカの中じゃあ比較的安全な町だけど、油断は禁物ですよ。特に、アパルトヘイトが廃止されて直後の今は、旧黒人居住区には、絶対近づいちゃだめです。」
南アフリカの事情に詳しい旅行社のベテラン添乗員からの忠告。私が南アフリカに「ペンギンを洗いに行く」と聞いて、電話してくれたのだ。そして、「実は多額の現金を持って行くのだ」と言うと…。
「そんなの絶対ダメです。だめに決まってるじゃないですか!それでなくとも日本人は格好の標的なんだから。非常識だなあ!」
電話の向こうで噛みつかんばかりの剣幕。お説教が20分くらい続いた。

「でもね、募金活動して全国からお預かりした浄財を他の手段で無にしたくないんですよ。何回も先方の担当者や責任者に相談しました。銀行は信用できないし、まして郵便為替はもってのほか。トラベラーズチェック、小切手も換金の手続きが煩雑で時間がかかり、いつ現金化できるかわからない。そう言うんですよ。あっちの人達が…。」
必死の説得。ついに相手は根負けした。

「しょうがないなあ。まったく無茶なんだから。じゃあ、現金を手渡すまで、これだけは心がけて下さいね。」
それからさらに40分。現地でのタクシーの拾い方から、ドライバーの良し悪しの見分け方。服装、振る舞い、道の歩き方にいたるまで、詳細なレクチャーが続いた。

そのレクチャーを頭の中で再生しながら歩く。タクシーはきれいでツートンカラーのもの。特に、窓がしっかり閉めてある車を選ぶ。タクシーが近づきちゃんと停車するまで、不用意にこちらから近づかないこと。乗る前に、車外からドライバーに行先を地図で示しながら告げる。その時、車内の様子を確認する。特に、運転席と客席を仕切る金網が破れていたり、すぐ取り外せるようになっていないか、必ずチェックすること。鞄等は、背中に背負ったりせず、両足の間に挟むか、爪先に置くべし…。

要するに、「タクシーを見たら強盗だと思え」ということだ。でも、全て、何事もなく進む。車は市街を抜け、瀟洒な別荘が建ち並ぶテーブル湾岸を北へと向かう。快晴、微風、空気は心地よく乾燥している。
25分ほどでレスキューセンターに到着。支払いを済ませ車を降りる。見上げたそのちょうど正面に、美しいテーブルマウンテンの稜線が、青空を横一線に切り取っている。しばらく、ぼおっと眺めていた。

「やっぱりテーブルビューだねえ…。」
なんとも気の抜けた独り言。ここまでの異様な緊張はなんだったんだ。

事務所を訪ね、挨拶もそこそこに「渡すべきブツ」をさっさと手渡した。相手はもちろん大喜び。「大変だったでしょう?」と聞かれたので、これまでの顛末を聞かせた。大笑い…かと思ったが、スタッフの顔は真剣そのもの。私の一言一言にウンウンと頷いている。「実は、昨日、海岸道路で強盗殺人事件があったばかりなの。襲われたのは外国人観光客らしいけど、犯人は捕まっていないそうよ。」
ベテラン女性スタッフが、不安そうな表情で説明してくれた。
「さて、男性ボランティアの何人かにガードを頼まないとね。」
私が日本から抱えてきた「札束」の包みを握りしめ、そそくさと事務所の奥に消えた。

「ペンギンを扱ったことは?」
横にいた別の女性スタッフ、獣医看護師のパトリシア・エスロットさんが尋ねる。
動物園のキーパーほど上手くはないけど大丈夫。その答えを聞くか聞かないかの内に、ゴム長靴、厚手のゴムびきズボンとジャケット、帽子一式をドカンと手渡された。「ハイハイ、働きますよ!そのつもりで地球の反対側から来たんだから。」心の中で呟いた。
さあ、ペンギンを洗うぞ!!

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