5年目の3月11日に考えること

2016 年 3 月 11 日 金曜日

5年前の3月11日は、たしか金曜日だったと思います。あの日のブログには曜日の記載がありませんが、その2日前、3月9日の宮城県沖で起きた「前兆地震」とも言える地震に関するブログには水曜日との記録がありますので、11日は金曜日だったはずです。今年も…、3月11日は金曜日です。

12日(土)の早朝、学校で生徒と共に繰り返す大きな余震を耐えながら過ごした夜が明けると、私は、JR恵比寿駅まで、徒歩で偵察に出かけました。学校周辺の最寄りの鉄道駅が、実際にはどんな状況になっているか確認し、学校から帰宅させなければいけない生徒の帰宅方法を検討する情報収集のためでした。JR恵比寿駅はシャッターを降ろしたままの状態で、「安全確認のため運転再開までお待ち下さい」の貼り紙があるだけでした。

駅前のロータリーには、金曜日の夜を駅周辺の居酒屋などで過ごした若いカップル達が、あちこちに座りこんでいました。幸い、寒さはそれほどひどくなく、晴れてもいましたので、不思議に惨めな感じはしませんでした。

「なんでよりによって私の誕生日にこんなことになるのよ!!」

突然、かなり酔った若い女性が、大声で叫びました。同年代の男女数人が、慰めています。ああ、あの人は3月11日が誕生日だったんだ…。

その時、学校へと引き上げながら、ぼんやりその光景を眺めていたことを、なぜか鮮明に覚えています。

多くの方々が亡くなり、多くの方々が未だに苦しみの中にいらっしゃいます。私は、たぶん、あと4年たち、2020年がきても、きっと同じ光景を思い出すことでしょう。

あの震災と津波と原発事故によって失われた全ての命、全ての営みに、深く深く哀悼の想いを捧げます。

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